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キャメル (Camel) は、1973年にデビューしたイギリスのプログレッシブ・ロック・バンド。数あるプログレ・バンドの中でも、叙情派のサウンドで知られる〔松本昌幸 「キャメル・オン・ザ・ロード1972」(キャニオン PCCY-00444) ライナーノーツ〕。 == 詳細 == 1969年、イングランドのサリー州 ギルフォードで、アンドリュー・ラティマー(ギター)、ダグ・ファーガソン(ベース)、アンディ・ウォード(ドラム)のメンバーで「ブリュー(Brew)」という、ブルースを基調としたローカルバンドを結成。 1971年、シンガー・ソングライターのPhillip Goodhand-Taitのオーディションを受け、「I Think I'll Write a Song」というアルバムにバックバンドとして参加。同年、すでに「ゼム(Them)」や、ソロ活動などでキャリアを重ね知名度もあったピーター・バーデンスは、バンドでのアメリカ進出を考えており、メンバー募集の広告を「Melody Maker誌」に出したところ、アンディ・ウォードからのコンタクトがあり、ブリューのメンバーとセッションを行い意気投合。 1972年春、契約が残っていたバーデンスのベルファストでのコンサートを、新たなバンド名「キャメル」として行う。コンサートは成功し、以後4人はキャメルとして活動する事に成る〔赤岩和美 監修 『ブリティッシュ・ロック大名鑑』 ブロンズ社、1978年〕。 バンド初期は、アンドリュー・ラティマーの哀愁漂うエモーショナルなギター(主にギブソン・レスポールを使用)とピーター・バーデンスの軽快なキーボード、アンディ・ウォードの多彩なドラムを軸に、美しいメロディをテクニカルな緊張感のある演奏で聴かせていた。 アルバム発表以前にもイギリス国内での演奏活動を行う。(アルバム発表後は、イギリス国内や、ヨーロッパ各国などで、ライブハウス(スペース)系の会場や、コンサートホール系の会場などでの(開催規模は様々)演奏活動を行なっている。後には、「ワールド・ツアー」などの演奏活動を行なっている。) 1973年、『キャメル(Camel)』で、デビューアルバムをリリース。 1974年、アルバム『蜃気楼(Mirage)』を発表。 1975年、アメリカの作家ポール・ギャリコの短編小説「スノーグース」を基にしたコンセプト・アルバム『白雁(スノー・グース)(Music Inspired by The Snow Goose)』を発表。リリース後、全曲を演奏する公演も開催。後に、ロイヤル・アルバート・ホールで、 ロンドン交響楽団と共演し、全曲を演奏。以後の公演でも本アルバムからの曲をセレクションしたメドレー形式、Selection From "THE SNOW GOOSE" などでの演奏を行っており、キャメルの代表作のひとつと言える。 1976年、アルバム『月夜のファンタジア(MOONMADNESS)』発表。後に、ダグ・ファーガソンを演奏能力の問題から解雇、元キャラヴァン(CARAVAN)のリチャード・シンクレア(ベース)を後任に据え、ゲストメンバーとしてメル・コリンズ(サックス)等を迎えて活動。 1977年、アルバム『雨のシルエット(Rain Dances)』を発表。 1978年、アルバム『ブレスレス~百億の夜と千億の夢(BREATHLESS)』を発表。 アルバム収録後、ピーター・バーデンスがラティマーとの軋轢から脱退し、キャメルに入る以前にも活動していたヴァン・モリソンのバンドに加わる。後任に元キャラヴァンのヤン・シェルハース(キーボード)、さらにツアーメンバーとしてやはり元キャラヴァンのデイブ・シンクレア(キーボード)が参加。オリジナルCAMELより元CARAVANメンバーの方が多くなり、『CARAMEL(キャラメル)』と渾名(あだな)される。 1978年、2枚組アルバム『ライブ・ファンタジア(A LIVE RECORD)』を発表。初のライブアルバム。1977年発売の『雨のシルエット(Rain Dances)』迄の、初期からのライブ録音から選んだ楽曲と、ロンドン交響楽団と共演し「スノーグース」全曲を演奏したライブ録音を収録。 1979年1月に初来日(ブレスレス・ツアー(Japan Tour '79))。東京、大阪、名古屋にて、5公演を開催。招聘元はウドー音楽事務所。 1979年のワールドツアー後、CARAVAN再結成のためデイブ・シンクレア、リチャード・シンクレアが脱退、さらにメル・コリンズも脱退。コリン・バスとキット・ワトキンスが加入。 1979年、アルバム『リモート・ロマンス(I Can See Your House From Here)』を発表。 1980年1月に来日公演(リモート・ロマンス・ツアー(Japan Tour '80))。東京、大阪、名古屋にて、5公演を開催。招聘元はウドー音楽事務所。アルバム一枚でキット・ワトキンスは脱退、代わりにダンカン・マッケイが加入。 1981年、アルバム『ヌードの物語 ~Mr.Oの帰還~(Nude)』を発表。(第二次世界大戦終戦後、フィリピンのルバング島で29年間投降しなかった、日本兵の小野田寛郎氏の当時の生活の模様等を書いた本を、1979年の来日時、アンドリュー・ラティマーが日本のプローモーターより贈られ読み、インスパイアされ制作れたコンセプトアルバム。) 『ヌードの物語 ~Mr.Oの帰還~(Nude)』以降、女流詩人のスーザン・フーヴァー(詩人。(以前には、音楽関連のライターなどで活動)後には、ラティマーの妻。)が、コンセプト面で重要な役割を担うようになる。 1981年、アンディ・ウォードが脱退(アルコールおよび薬物を乱用し体調を悪くした為)。「キャメル」としてのオリジナルメンバーはアンドリュー・ラティマー1人となる。 1981年、アルバム『シングル・ファクター(The Single Factor)』を発表。(『キャメル』名義ではあるが、実質的には、ゲスト演奏者を集めて制作したアンドリュー・ラティマーのソロプロジェクト・アルバム。) 以後、『キャメル』そのものが、アンドリュー・ラティマーのソロプロジェクトの性質を持つようになる。 1984年、アルバム『スタショナリー・トラベラー(Stationary Traveller)』を発表。(ドイツの東西分裂(ベルリンの壁)をテーマとしたコンセプト・アルバム。) 1984年5月、キャメル結成20周年記念のライブを、イギリス・ロンドンのハマースミス・オデオン劇場で開催。元メンバーのピーター・バーデンスがゲストとして参加し数曲を共演。(後に、公演の模様から、『プレッシャー・ポインツ~キャメル・ライヴ~(Pressure Points)』として発売。(このライブの模様は、ビデオ化され市販(後に、DVD化)。) 82年から84年の間で契約を消化し、活動休止。(活動休止時期には、契約していたレコード会社等との間での「契約問題(印税なども含む)」関連の裁判があり、キャメル側(アンドリュー・ラティマー側)の多くの主張が認められた。) 活動休止時期に、アンドリュー・ラティマーは自宅を売却し、活動の拠点をイギリスからアメリカに移し、1年間の休暇を過ごした。アンドリュー・ラティマー自身が『キャメル・プロダクション』を設立。(『キャメル・プロダクション』設立以後から、ライヴ・アーカイヴ(オフィシャルでの「ブートレグ・シリーズ」)や、新作アルバムのリリースを続けている。) 1991年、復活アルバム、ジョン・スタインベックの小説「怒りの葡萄」を基にしたコンセプト・アルバム『DUST AND DREAMS』発表。 1992年 Dust And Dreams Tour(ダスト・アンド・ドリームス・ツアー)を、東京、大阪、名古屋でのライブハウス(スペース)系の会場で公演。 1996年、アルバム『ハーバー・オブ・ティアーズ 港町コーヴの物語(Harbour Of Tears)』を発表。 1997年 Harbour Of Tears Tour(ハーバー・オブ・ティアーズ・ツアー)を、東京、大阪、名古屋でのライブハウス(スペース)系の会場で公演。 1999年、アルバム『ラージャーズ 別れの詩(Rajaz)』を発表。 2000年 Rajaz Tour(ラージャーズ・ツアー)を、東京、大阪、のライブハウス(スペース)系の会場で公演。 2002年、元メンバーのピーター・バーデンスが死去。またコリン・バスはインドネシアに渡り、「サバ・ハバス・ムスタファ(SABAH HABAS MUSTAPHA)」の名を用い同国音楽シーンで成功を収めている。 2002年、アルバム『ノッド・アンド・ウィンク(A Nod And A Wink)』を発表。(過去のライブ音源より) 2006年、アンドリュー・ラティマーの『キャメル・プロダクション』が、活動拠点をアメリカからイギリスに移す。 2007年5月、アンドリュー・ラティマーが1992年以来骨髄線維症になっていた事を、妻のスーザン・フーヴァーが「キャメル・プロダクション」のウェブサイトで公表し、病気の進行状況の悪化により予定していたツアーを中止した。 2007年後半に、アンドリュー・ラティマーは骨髄移植を受けた。 2008年9月、「彼は徐々に回復しており、音楽活動を再開する意欲を示した。」との内容の文章を妻のスーザン・フーバーが、「キャメル・プロダクション」のオフィシャルニュースレターに書いた。 2010年には、音楽活動も徐々にではあるが再開した。 2013年10月、ロンドンにて「The Snow Goose」を完全再現するライブを行う事が発表される。(10月28日 ロンドン・バービカン・センター) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キャメル (バンド)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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